無理に自分を納得させる事の結末
2004年10月15日 日常黙って。
黙ってよ。
黙ってっていってるじゃない!
黙りなさいよ!
黙れないの?
黙れないなら、あっちへ行って!
日常の色々な場面で、大声を上げたい時がある。
図書館で騒ぐヤツ。
電車の中でデカイ声でしゃべるヤツ。
講義の時間に廊下で笑い声を上げまくるヤツ。
わかってる。
言っても無駄なんてこと。
でも、この衝動を抑える事に必死な自分は、どうしたら良いの?
「この人たちには、
”周りにどう見られているか”なんて考え、
ひと欠片も無いのよ。
しょうがないのよ。
気にしないのが賢明よ。
・・・我慢するのよ」
「いいえ。注意しなさい。
うるさいんでしょ?言いなさいよ。
注意する勇気さえもないの?」
こんな葛藤をしてる自分に、一番苛苛してる。
だから私は自分に言ってやるの。
お前も誰かに迷惑かけて生きてるんだろ。
この世に有る者は、誰かに影響を与えて生きてる。
そのたった一場面に、神経を尖らすな。
助け合いだろ?
迷惑の掛け合いだろ?
うるさいくらいが何なんだ。
世の中音だらけだ。
こんな考え間違ってるのは分かってるさ。
でも、この次会うかどうかも分からない者に怒るな。
もっとやるべきことに、気を裂けよ。
そして私は自分で無くなった。
----------
自分の思いに正直でいる事とは、とても難しい。
簡単な時もあるけれど、
なかなか難しい。
理性や合理的な考え方に、自分が心から納得できれば、
多少の不安はあっても、割り切ることはできる。
しかし、無理に自分を抑えつけ、納得させようとすると、
自分の心は固く凝り固まるか、暴走反応を起こす。
自分にウソをつき続ければ、
自分と向き合わなければならなくなった時、
必ず今までの不安が、爆発する。
どんなに安全な世界にいても、
あなたの意志が望むものと反したものしかなければ、
心は固まってしまいますよ。
まず、感情が無くなるのです。
美しいと思う心が失われるのです。
より良い人生を歩んでください。
あなたの意志で、歩んでください。
黙ってよ。
黙ってっていってるじゃない!
黙りなさいよ!
黙れないの?
黙れないなら、あっちへ行って!
日常の色々な場面で、大声を上げたい時がある。
図書館で騒ぐヤツ。
電車の中でデカイ声でしゃべるヤツ。
講義の時間に廊下で笑い声を上げまくるヤツ。
わかってる。
言っても無駄なんてこと。
でも、この衝動を抑える事に必死な自分は、どうしたら良いの?
「この人たちには、
”周りにどう見られているか”なんて考え、
ひと欠片も無いのよ。
しょうがないのよ。
気にしないのが賢明よ。
・・・我慢するのよ」
「いいえ。注意しなさい。
うるさいんでしょ?言いなさいよ。
注意する勇気さえもないの?」
こんな葛藤をしてる自分に、一番苛苛してる。
だから私は自分に言ってやるの。
お前も誰かに迷惑かけて生きてるんだろ。
この世に有る者は、誰かに影響を与えて生きてる。
そのたった一場面に、神経を尖らすな。
助け合いだろ?
迷惑の掛け合いだろ?
うるさいくらいが何なんだ。
世の中音だらけだ。
こんな考え間違ってるのは分かってるさ。
でも、この次会うかどうかも分からない者に怒るな。
もっとやるべきことに、気を裂けよ。
そして私は自分で無くなった。
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自分の思いに正直でいる事とは、とても難しい。
簡単な時もあるけれど、
なかなか難しい。
理性や合理的な考え方に、自分が心から納得できれば、
多少の不安はあっても、割り切ることはできる。
しかし、無理に自分を抑えつけ、納得させようとすると、
自分の心は固く凝り固まるか、暴走反応を起こす。
自分にウソをつき続ければ、
自分と向き合わなければならなくなった時、
必ず今までの不安が、爆発する。
どんなに安全な世界にいても、
あなたの意志が望むものと反したものしかなければ、
心は固まってしまいますよ。
まず、感情が無くなるのです。
美しいと思う心が失われるのです。
より良い人生を歩んでください。
あなたの意志で、歩んでください。
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