今日は通夜がありました。
最初はとても暗い雰囲気だったけれど、
浄土真宗本願寺のお坊さんのお話しで、
少し明るくなりました。

あまり上手に説明できないけれど、良ければお読み下さい。

-------

思い出をもつことは 人間にしか出来ない
人は亡くなっても、その思い出の中で人は生きつづける

生きることは苦しいこと
お釈迦様は仏という役割によって 
この世で苦しむ私たちに縁という方法で助けてくださる

「ありがとう」と手を合わせる
「助けて下さい」と手を合わせる

手を合わせることも人間にしか出来ない

この世は刹那無常
瞬きをするほどの短い時間も留まることは無い

人はどんなに一人で努力しても どんなに一人でがんばっても
それは一人の力
なかなか実にならない

美味しい米が成るためには
米にあった土地
米が成長するのに必要なだけの雨と太陽の恵みが必要

美味しい米は突然美味しくなるのではなく
また 種をまけば美味しくなるのでもない

人間も一人で成長するのではなく
いい環境があって はじめていい人間になれる

その環境はいきなり出来たわけではなく
今までこの世に居た人 誰か一人でも欠ければ
環境も整わず 自分も生まれない

この世に生を受けたことの意味
死に向かって歩む道を思い 考えなさい
考える機会を今日与えられたのです

願うということは
その人との出会いと思い出がなければできない

留まることの無い時間の中で
人は願い 手を合わせる

他力本願とは 仏様に願うこと
人はこの世を縁という環境に支えられながら生きている
清国にいる人々に
私たちは支えられている

何十年も生きている間に
あのときのあの人の言葉の意味が分かった 大切さが分かった
ということがあるはず
しかし
意味や大切さを感じるには 思い出がなければならない

だから刹那無常の今 このときを 大切にしなさい
そして環境である縁を 大切にしなさい

人が亡くなるときは
今一度
自分がこの世になぜ生まれついたのか
考える機会と捉えなさい

-------

上手くまとめられませんが
こういう話しをして下さいました。
ありがとうございます。

コメント